かみ合ってないハングマンとマーヴェリックの会話 ハングマンの過去を色々捏造しています


「最初に憧れたのはリバイバル上映で見た『新たなる希望』のX-ウイング。反乱同盟軍のパイロットが一丸になって、デス・スター唯一の弱点である排熱口を狙う。そして友軍の犠牲を乗り越え、最後にルークが破壊に成功する。 無垢だった俺は将来絶対にX-ウイングに乗るんだと熱弁をふるって、二才上の姉に鼻で笑われました。 そこから飛行機にのめりこむようにはまった俺を見かねて、両親はライト兄弟とアメリア・イアハートの伝記を買い与えました。星の王子さまもそのくらいの歳の頃に読みましたよ。でもそれはあまり俺の心には響かなくて、図書館で借りたレッド・バロンの評伝にむしろ夢中になった。本格的な近代戦の始まった一次大戦の中で、最後まで騎士道精神を守り続けて空に散った貴族の男。子供ながらにロマンを掻き立てられた」 「――最初の訓練で僚機を見捨てた君が?」 「……だからいったでしょう、子供の頃の俺は無垢だったって」  そういった男はいたずらっぽい笑みを口元に浮かべて、自分の朝食を手にしたマーヴェリックを寝そべった長椅子の上から見上げた。その手の中には、いつだったかマーヴェリックが基地からくすねてきた、講義用のF-14の模型が握られている。  一人掛けのソファに腰を下ろし、マーヴェリックは続く彼の言葉に耳を傾けながらトーストを齧り始めた。 「12歳になった年に、夏の家族旅行は絶対にエアショーに行きたいと主張して連れて行ってもらいました。現地に着いたら雑誌の中でしか見たことのなかった航空機がずらりと並んでいて、それだけで踊りだしたくなるほど興奮した。付き合わされた姉はずっと文句を言ってましたけど、ブルーエンジェルスのショーを見たらそれはやっぱりよかったみたいです。俺も自分の目で見るのは初めてだったから、一つも見逃さまいと思って目を見開いてずっと空を見上げてた。 ショーが終わって、X-ウイングには乗れないかもしれないけど、あの戦闘機には絶対に乗るんだ――そう思って、将来の夢が決まりました。あの夏の日は一生忘れらない」  そう言い切ったところで、それまで滑らかに紡がれていたハングマンの言葉が止まった。  缶詰の煮豆を咀嚼しながら開いたままの専門書の上をマーヴェリックの視線はさまよっていたが、朗々とした声が途切れたことに気づいてハングマンの方を見遣る。しかしテーブルを囲んで斜めに座った位置からでは、彼の少し乱れたつむじしか見えなかった。  それを珍しいな、と考える。勤務中は当然ありえないが、度々ハンガーを訪れてきたこれまでも彼の髪型がまとめられていない姿は見たことがなかったように思えた。そしてスプーンを持つ手をしばしの間止めてから、マーヴェリックは口を開く。 「君、疲れているだろう。少し寝た方がいいんじゃないか?」  反応はすぐには返ってこなかった。一拍置いてからゆっくりとハングマンは起き上がり、呆れの混じった表情でマーヴェリックを振り返った。 「……あのですね、金曜から夜通し走ってあなたに会いに来たのに、その時間を睡眠で浪費しようなんて馬鹿げたこと、俺はやりませんから」 「……馬鹿げたなんて」 「俺にとってはそうだということです。体調がどうだなんてことも言わないでくださいよ? 仮眠もとりましたし、この程度でへばるほどヤワな鍛え方はしてません」  そこまで話したところで、ハングマンは手を伸ばしてスプーンを握ったままのマーヴェリックの右腕に触れた。捲った長袖から露出している下腕をあたたかな掌が滑り、手首を包むように握られる。  彼の親指が筋の形を確かめるように何度か肌の上を往復すると、くすぐったさとは違うある種ぞわりとするような感覚を覚えた。それは朝、教え子との会話の中で感じるには不適切な感情だ。 「というかですね、あなたに訊かれたからアビエイターになろうとしたきっかけを話したんですが、それに対しては何もないんです? ――マーヴェリック?」  不服そうなハングマンの声が気遣わしげなものに変わると同時に、手首を掴んでいた掌は離れていってしまった。それを惜しむような思いが一瞬脳裏をよぎったが、それを打ち消すように慌ててマーヴェリックは口を開く。 「あ、あぁ……そうだね、スターウォーズ好きはエンジニアには結構いる」  マーヴェリックの様子に気づかなかったわけではないだろうが、彼はそこには触れないことにしたようだった。 「――そうなんですよ、アビエイターは意外と少ない。でも公言をしていないだけで、大抵の奴は見ているし影響も受けていると思うんですよ。ギークの趣味だと思って口に出さないだけで」  そういうのは俺は好みません、と過剰なほどに自信家の男はおどけた口調で笑った。 「とはいえ、家族の勧めや愛国心から入隊する人間の方が多い。身近に相談できる相手がいるのは羨ましいですよ」  声音にわずかに滲んだ寂しげな響きに、家族にキャリアのことはあまり話せないとこぼしていたことをマーヴェリックは思い出す。彼らはいつか自分がこの仕事を辞めるものだと考えてるんです、とハングマンは話していた。  握ったままだったスプーンを皿の上に置き、マーヴェリックはハングマンの膝を軽く叩いた。 「この仕事をしていると、家族であっても話せないことがあるのはむしろ当然だ。もちろん君の周囲にも沢山いるだろうけど――僕でもいいなら、いつだって相談にのる」  既に有望な若手として勲章も得ている彼にかける言葉にはふさわしくないかもしれなかったが、空を飛んできただけの自分にも教えられることがあるなら、それを惜しむつもりはマーヴェリックにはなかった。  きっとかつて若かった頃の自分を見ていた教官たちも、同じような心境だったのではないかとこの歳になって思う。意地を張っていたせいで自分から相談に行ったことは数少なかったが、いつだって彼らは暖かく迎え入れてくれて、拒絶をされたことは一度もなかった。  そう過去を懐かしく思い出したマーヴェリックの口元は、はにかみを含んだ穏やかな微笑みが浮かんでいた。半開きの唇からは白い歯がわずかに覗いている。彼自身だけが知らないことであったが、それには見る人間の心をとらえて離さない魅力がある。  間近でそれを浴びせかけられたハングマンの動揺した「ありがとうございます」の言葉には気づかずに、当の本人は自分が大それたことを言ったのではないかという気恥ずかしさから、誤魔化すように忘れかけていた朝食を匙ですくって口に運んだ。